自分の行動を支配している「自分ルール」をなかったことにして考えると、おもしろい発想がわんさか出てくる。
例えば、僕は自分のことを重度のめんどくさがりやだと思っているんだけど、
「もし、自分にめんどくさいという感覚が全くなかったら何をするだろうか」と想像するのだ。
他にも例えば
「もし、自分にコンプレックスが全くなかったら何をするだろうか」というのも良いだろう。
そしておもいついたものをどんどんメモしていく。
例「もし、自分にめんどくさいという感覚が全くなかったら何をするだろうか」
- 今、会いたいと思っている人が何人かいるから、そういう人たちに連絡をとるかな。
- 最近下書きした記事をアップしたいな。
- 話す練習をもっとしたい。
- 家族に対して、あまり自分は貢献できていないきがするから、何か喜んでもらえるようなことができないかな。
- 漠然と、何かを勉強したい。
- 漠然と、どっか海外旅行に行きたい。
例えば僕の場合、こんな感じのイメージが湧いた。(人に見せられるものだけに限っているが、一人でやる分には、もっとアグレッシブに書いた方がよい。)
次に、「もし」を外し、今の自分にとってこれらの何がめんどくさいのかを検討する。
- 人に会うための、予定の調節がめんどくさい。
- 記事を公開するための、記事の調整がめんどくさい。
- 話す練習をするための環境づくりがめんどくさい。人を前にして話すのは怖い。
- 家族サービスも何をしたらいいかよくわからない。それを考えるのがめんどくさい。
- 何を勉強するのが一番いいかがわからない。それを考えるのがめんどくさい。
- 海外旅行は行ったことないところに行くのは怖い。準備がめんどくさい。どこに行くか決めるのがめんどくさい。
自分の行動をせき止めている壁がわかったら、今度はその壁を越えようとするのはやめる。
そして、「今の自分でもできること」を考える。
- 予定の調整はめんどくさいけど、とりあえずLINEで元気かどうか声かけてみるだけでも。
- 記事の調整はめんどくさいけど、とりあえず一通り読み返してみるだけでも。
- 人を前にして話すのはこわいけど、一人で練習するのは別に怖くはない。録音して聴いてみるか。
めんどくささを感じないレベルにまで行動を細分化する。
さて、家族サービス、勉強、海外旅行に関しては、そもそも漠然とした願望があるだけで、具体的に何をすべきかがわかっていない。
こういう漠然とした願望は、すぐにかなえるのは難しいし、無理に叶えようとするとせっかくの願望が薄れてしまうので、アンテナを立てるだけにとどめておく。
- 家族を喜ばせたいんだけど、何をしたら喜んでくれるだろう?
- 勉強したいが、何を勉強するのが一番いいだろう?
- 海外旅行に行きたいんだけど、どこが一番いいだろう?
これでいい。質問文が投げかけられた。
脳の自動運転が始まったので、いつかその答えが向こうからやってくる。それを楽しみにまっていればいい。(※このあたりのメカニズムを論理的に説明するのは難しいが、納得いかない方向けに多少理屈っぽく説明してみた)
できればこの質問文は定期的に読み返したいので、目立つところにメモして貼っておきたい。
なぜ願望の実現方法を具体的に考えてはいけないのか。
願望は願望のまま抱えていると、だんだんと膨らむ性質がある。
でも、願望をなんとか実現しなくちゃいけない、と考えはじめると、途端にめんどくさくささを感じてしまう。
なにかと理由をつけてその願望実現を阻止しようとする。「忙しい」とか「自分には自信がない」とか「行動力がない」とか。
矛盾したことを言うようだが、願望というのは、自分にとってすごく具体的だからワクワクするのだ。
え、逆じゃないのか。漠然としているから行動に移せないんじゃないのか。
そうではない。
願望を実現した結果の気持ち良さをリアルに感じられるからこそ願望なのだ。
家族に喜ばれている自分を想像してきもちがいい、
勉強をして専門性を身につけて活躍している自分を想像してきもちがいい、
海外旅行で未知の土地に感動して成長している自分を想像してきもちがいい。
そこまでの想像はリアルだから感情が動く。
しかし問題は、それを実現するためのプロセスを考えた時に生じる。
プロセスは願望ではないから、感動がないのだ。
しかし、願望への道の途中にめんどくさい作業があると知ってそこにフォーカスしてしまうと、とたんに感情がうごかなくなり、めんどくさいという感覚だけが残ってしまう。
このプロセスが癖になってしまうと、「やりたいこと」を考えると同時に「それを実現するためにやらなきゃいけないこと」が頭の中に思い浮かび、「めんどくさい」と反射的に感じてしまうようになる。いつしか、願望自体を思い浮かべることをやめてしまうのだ。
以前の自分がまさにこんな感じだった。
自由な時間を確保できるようになってからも、自分が何をしたいのかさっぱりわからなかった。
何をしようとしてもめんどくさくて、自分は本当に行動力がないなぁとくよくよしていた。
願望が強ければ、その間にある瑣末なプロセスのめんどくささは無視できるのだ。それくらいの能力は人間には備わっている。
例えば、赤ん坊を想像してほしい。
お店に並んでいるお菓子がほしいとき、彼は親の前でただ泣き叫ぶ。
あれは「泣き叫ぶのはつかれるし恥ずかしいしめんどくさいけど、お菓子のためだ頑張ろう」なんておもっちゃいない。
お菓子がほしいという強い願望が泣き叫ぶという行動をとらせている。
これが少し利口になると、お菓子を買ってもらうためにお手伝いをしようと考えられるようになる。
すると、お手伝いはめんどくさいから、お菓子の方をがまんするか、という判断ができるようになる。
願望とめんどくささを天稟にかけて、めんどくさいから行動しない、という生き方ができるようになる。
大人はこれを戦略的にやればいいのだ。
自分の願望を、自分の壁をやすやすと乗り越えるまでに育て上げればいいのだ。
その方法は、簡単だ。
ただ、願望を願望として常に胸にもっていればいいのだ。
想像してにやにやするために。そのプロセスについては、一切かんがえなくていい。
ただ、願望がかなった自分を想像して楽しむだけでいいのだ。
非現実的なことも、妄想として楽しんでいるうちに、いてもたってもいられなくなって表現として表出することもある。
絵や物語、音楽なんかがそうだ。
あるいはこういう願望に対するプロセスを考えず放置しておいた結果、爆発して不幸な結果を招く例としては、熟年者の不倫でしょうか。
こういう仕組みを戦略的に使っていきましょうということ。
道徳に反するような願望を持っているなら、逆にそのプロセスを考えてコツコツ実行していけばいい。
そうすれば願望も管理できないほど極大化することもないし、論理的に管理できるから、
無計画につっぱしっちゃうよりはなんとかなるんじゃないでしょうか。
F太
心地のいい思考の流れをデザインしたい。
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