「めんどくさい」と感じてしまう事を、だめなことだと思っていやしないか。
「めんどくさい」っていう感覚は、実はそんなに良くないものってわけじゃないんじゃないか、と思ったので、このエントリーを書いてみた。
「めんどくさい」と「やりたくない」
仕事に行くのがめんどくさい。これって、今の仕事は自分に合ってないってことなんじゃないのかな…
→仕事に行くという行為は誰にだってめんどくさい。まだ寝ていたいという身体の欲求を切り替えるのは、誰にだって大変めんどくさいことだ。
飲み会に出かけるのがめんどくさい。人に会うのが嫌いなんじゃないかな…
→休息モードの休日に、色々着替えたりとかっていう「出かけるための準備」がめんどくさいだけであって、友人と会うことがめんどうなんじゃない。
旅行がめんどくさい。やっぱり自分はアクティブに世界中を飛び回るとか、柄じゃない。引きこもっているのがお似合いだ…
→これも旅行に行くこと自体をめんどうと感じているのではなく、その準備をしなくてはいけないという想像がめんどくさいだけ。
実際、準備を始めてみれば、それは楽しいのだ。準備を想像するからめんどくさいのだ。
このように、歳を取るごとに色々めんどくさく感じるようになってくるのは、その手前にある準備がめんどくさいということと同義なのだ。
めんどうくさがっているのは、準備の方なのだ。
子供の頃は、結果だけ楽しんでいればよかった。遊園地で楽しむことだけ考えていれば良かった。
学生の頃は、所属する部活や、バイト先や、勉強する内容さえ選んでいれば良かった。
一旦選んだそのあとは、とにかく練習していれば試合が訪れたし、バイトの仕事も常に決まったものが与えられていたし、勉強すべき内容もきっちり決まっていた。
選びさえすれば良かった時代を、長らく過ごしてきた。
しかし大人になると、遊園地にいくためにまずは休暇をとり、仕事を調整し、行くメンバーを募り、チケットの購入、待ち合わせ場所の決定、車を運転したり、ホテルを予約したり(そしてそのお金はもちろん自分が払ったり)。
運動するにしてもどのジムにいくか考えたりどういうスポーツをするか考えたり。
仕事の内容も常に更新が求められ、勉強もそもそも何を勉強すべきか、から考え、教えてくれる場所や時間の確保もしなきゃならない。
まぁつまりあれだ。
準備、っていうめんどくさいことをしっかりと引き受けないと、その先にある楽しさを得ることはできないんです、大人は。
そしてこの「めんどくささの壁」を超えられる人だけが、その先にある本当の楽しさを味わい、楽しむ事ができる。
この「めんどくささの壁」に阻まれている人がとても多いから、手軽に楽しめるゲームが売れる。
まずめんどくさいというのはやりたくないということと同義ではないということだ。
やりたいんだけど準備がめんどくさい。これが正解だ。
自分の欲望を間違って否定してはいけない。
あなたはたしかに旅行に行きたいし、新しい人に会いに行きたいし、運動をしたいし、勉強をしたいのだ。
ただ、その準備がめんどうなだけ。
F太
心地のいい思考の流れをデザインしたい。
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